358の自覚

さごはち☉の人生を豊かにするエッセンス

反省はリアルタイムでやらないと意味がない

今回は『反省』について書いてみたいと思います。日本人は割りと反省会が好きな人が多いです。会社でも会議という名の反省会で責任の擦り付け合い。家族でも個人でも。

 

 

反省したい人はすればいいんですけど、リアルタイム、その時、事が起こっている時にしないと意味がないんですね。

 

過去というのは自分の記憶にあるだけで、実在してないんです。変化、変えることができるのは実在のみで『たった今』しか、変えたくても変えれないわけです。過去も未来も非実在なので変えれない。変化を起こせるのは現在だけです。

 

つまり、反省して何かを変えたいと思うなら、事が起こっている今この瞬間に反省して変えていかないと、何も変わらないということです。過去の事をあれこれ思うのは単なる執着です。反省ではないんですね。

 

過去を反省するくらいなら、たった今、この瞬間を『愛で生きる』ことが出来ているのかを意識した方が実践的で現実的です。一瞬、一瞬を愛に生きることができるならば、何を反省する必要があるでしょうか?

 

今を愛で生きようと想う気がないから、そういう意識をしないから、何かやらかしてしまって、後になって反省しないといけなくなるわけですね。

 

今、愛を表現できていたら、それでいいんです。愛以外を表現しようとするから、反省しないといけなくなるんです。

 

愛とは『無差別・無所得・無条件』の『優しさ・思い遣り、労り』などです。

 

目の前の人に対して、今やっていることに対して、仕事、家事、趣味なども、純粋な心で取り組めてたら、これ以上に素晴らしい表現はないんですね。周りの目を気にしているのはエゴです。そういうエゴの想いは無視すればいいんです。

 

今、思う存分、純粋な心で、無心で、愛を表現できているなら、パーフェクトです。

 

植物は、誰に見られてようが、誰にも見られてなかろうが、今この瞬間を全力で生き、綺麗に咲き誇ります。人が見てないから咲かないでおこうなんて遠慮はしません。今できる最高のパフォーマンスで愛を表現しています。

 

よく、人間を植物に例えると、植物と一緒にするな!という人もいますが、植物にできることを人間ができないのなら、植物以下です。人間も植物も、姿形は違えど、その本質は全く同じ1つのものです。この地上での与えられた役割が違うだけで。

 

人間には自由意志が与えられているので、愛の表現方法も多種多様です。一人一人が、その個性を活かして愛を表現していければ、それでいいわけです。どんなことをやっていても、全力で愛として咲き誇っているなら、それほど美しいものはないんですね。

 

過去を反省する暇があるなら、今を全力で咲き誇る。全力で愛を表現してみる方が、実践的で現実的です。

 

人は生まれた瞬間から墓場に向かって歩んでいます。誰一人とて例外はありません。遠慮したり、寄り道するほど、人生は長くはないです。あっという間に墓場の前にやってきます。

 

今この瞬間という実在に生き、個性に合わせて愛を表現する。背伸びする必要もなければ、人と比べる必要もない。ヒマワリが薔薇になる必要性はどこにもありません。ヒマワリはヒマワリとして咲き誇れば、それで美しい。

 

一瞬一瞬を愛で生きていきたいものですね☆彡

 

最後までお読み頂いて、ありがとうございます。