358の自覚

さごはち☉の人生を豊かにするエッセンス

人生における苦しみは、人生の完成間近のサイン

人生には悩み、苦しみがつきまといますが、これは『人生の完成』が間近に迫っているというサインでもあります。

 

この世を楽しく満喫している人は、実は人生の完成はまだまだ先なんですね。

 

よく「壁にぶち当たる」と言いますが、その時にどういう選択をするのかで、完成に進むのか、もう少し悩み、苦しみを経験するのかに分かれます。

 

悩み・苦しみから解放される方法はたった1つしかないんですね。巷には色々な方法論が溢れかえっていますが、どれも枝葉的なもので、一時的回避の手法を説いてるんです。もちろんそういう手法が必要な時もありますので、僕は否定はしません。

 

今、お話ししていることは、人生を完成させるのか、それをもう少し延期させるのかという岐路に立たされたとき、完成を選択したいという人向けの話になります。つまり、悩み・苦しみから解放されるということですね。

 

そのたった1つの方法というのは、『心から離れる』ということなんです。

 

悩み・苦しみを作り出している張本人は『心』、特にマインドと言われている『思考』なんです。思考から離れるということです。これ以外に方法はないんですね。

 

例えば、今、あなたが何かに悩んだり苦しんだり、モヤモヤしてるとします。そこから解放される唯一の方法を今、知ったわけです。ここでどっちを選択するかだけなんですね。

 

思考から離れたら、すべてが完成する方向に動き始めます。でも、こういうことを知っても、「でも・だって」という思考が出てきて、思考を大切に離さない人もいます。

 

悩み・苦しみを作り出す張本人である思考を大切にするのなら、もう暫く悩み苦しむというのは、本人がそっちを選択していることなので、続きます。でも、これは自己責任なので、誰も邪魔することはできません。

 

その人が、思考を手放すという選択をするまでは、悩み・苦しみは繰り返してしまうんですね。

 

思考していると、あたかも自分が考えていると思い込んでるんですけど、違います。思考は自分ではありません。錯覚を起こしているだけなんです。

 

僕もこの部分に気付くまでは随分と時間を費やしてしまいましたが、真実を知って、それを選択して、静かに思考を傍観する。一時的に思考が抵抗してきて暴走する時期もありましたが(笑)、今はとっても静かです。内なる狂犬を手なずけることに成功しました^^

 

思考を自由に制御できるようになると、苦しみは消えていきます。自分で問題を作り出して、自分で苦しんでいるだけの自作自演の一人芝居なので、その役者が消えれば、当然、平穏・静寂になります。

 

1つだけお伝えしておきたいのは、悩み苦しんで色々と考えることに、何も意味がないということ。考えて乗り越えることに意味があるのではなく、その原因。苦しみの張本人が何であるのかに気付き、手放すことができるかどうか。ここに意味があるんですね。

 

手放せば完成、手放せなければ堂々巡り。

 

人生ってこれだけなんです。手放せば完成って簡単に書きましたが、その後はどうなるのか?

 

神と一体になるだけです。自分が神だったという実感。すべてが神だったという実感。神のみが実在していたという実感。自我意識から全我意識へと意識転換が起こります。この瞬間、その人は既に天国に居ます。

 

ネガティブのない自分が、周りに愛のエネルギーを放射しながら生きていくだけです。

 

人生において、悩んだり、苦しんだりしている時、人生の最大のチャンスに差し掛かっているんですけど、そこでどういう選択をするのかで、完成なのか、延期なのかに分かれます。

 

今すぐ、完成に向かえ!とは言いません。もう暫く悩み苦しみを楽しむのも経験の1つです。というのも、悩みたくても悩めなくなるんです(^_^;)(笑) 今のうちに存分にそういう経験を楽しんでおくのも悪くはないです。

 

ただ、こういうことを頭の片隅にでも置いておくと、もう辛い経験は要らない!と真剣に思った時、完成という選択肢があるということを知っている人は、そっちを選ぶことができますよね。知らなければ選ぶこともできないわけですので。

 

今すぐこうしなさい!ではなく、選択肢というオプションを増やしておくという意味で、こういうお話をしてみました。

 

この世のおもちゃに飽きたら、是非、完成に向かってくださいね^^☆彡

 

最後までお読み頂いて、感謝しています。